リビングPC構成
マザーボード GA-E350N-USB3 \10,690
CPU オンボード(AMD E-350 1.6Ghz)
GPU オンボード(Radeon HD 6310)
サウンド オンボード
OS Windows7 HomePremium(DSP) \10,980
ケース IW-BMR651 ¥6,940
電源 ケースに内蔵
メモリー CFD W3U1333Q-4G(8G) ¥2,780
ストレージ WD7500BPVT(750G) ¥7,755
光学ドライブ LITEON iHOS104 \4,490
Bluetooth BT-MicroEDR2X ¥670
キーボード TK-FBP014WH ¥2,978
マウス SB-MO01-BTLS/BK ¥980
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¥48,263
ぶっちゃけ、そんな孤独をくぐり抜けたおれからすると、文学フリマで安直にクリエイターインタビューして批評家ごっこしている連中はぬるすぎる。年寄りの愚痴と言われても言うぞ。いまの同人批評界は決定的に甘い。もっとマイナーで孤独なことをやるべきだ。
「美少女ゲームの臨界点」は、Type-Moonの台頭に対してKeyを絶対的に擁護するために、そしてそのためにのみ作った(「+1」は違うが)。批評の存在意義はそういう「構図」を作り出すことにある。人気タイトルを追い掛けているだけのいまの同人批評に、そういう気概はあるのだろうか。
むろん、そういう批評がぼくの趣味の反映でしかなく、クリエイターからすれば乱暴で迷惑なものでしかないことは承知してますよ。しかし、批評を書くこと/読むことの楽しさは、そういう「構図」の魅力にあるわけで(それがわからないと批評は嫌いになる)、その勇気がない文章は批評の名に値しない。
「美少女ゲームの臨界点」のころは、自分がここでKeyの魅力言語化しておかないと、後世エロゲーの歴史は全部奈須きのこがもっていってしまうのではないかと本気で危機感もってた。自分でもあのころはなにか狂ってたと思うがw、しかし、そんくらいトチ狂っていてほしいんだよなあ、若い連中には。
構図がうまく作れていること、まずはそれが批評の良さの第一条件。構図がないまま個々の作品論垂れ流しても、それは読者の記憶に残らない。
広島弁でよく「たちまち」と言う言葉をよく使います。
忽ちとは短時間にそのような状態に達する様子なのに
広島では「たちまち」を取敢えずというような使い方をしています。
たちまちFAXしてもらいますかとか
たちまちもらえますかとか
本当に取りあえずのような使い方をしています。
取敢えずとは優先して何かをする事
忽ちは短時間でと言う意味
広島の人は言葉の使い方をまちがっていませんか?
北海道も疲れるを恐いといったり
大阪の人も駄目を開かんといって何が開かないのかなど
方言で矛盾するのがありますが
広島の忽ちは使い方,変でありませんか?
ベストアンサーに選ばれた回答
obanikuさん広島ですが
最近はたちまちという方言はさほど使われなくなっています。
使い方は変ではありますが
しゃべり方が怖い広島弁にしては可愛らしい方なので
許してやってくれんかいのぉ~
(注:怒ってはいません)
運命からも「Free」である必要があるならば、決定論と自由意志は相容れないことになる。 しかし、それは、運命から「Free」でなければならないという定義が、非決定論を意味しているからである。 決定論であると定義すれば決定論であるという結論になるし、非決定論であると定義すれば非決定論であるという結論になる。 つまり、両立すると定義すれば両立するし、両立しないと定義すれば両立しないのである。 これぞ、見事な循環論証だろう。
うーん、このサイトは、凄い!
少なくとも一度くらいは、デザインの現場に対して「努力」とか「追求」とか「試行錯誤」とか「自己実現」とか、そういった類の言葉を一切使わない文章を一度読んでみたいものです。デザイナーは得てしてそういうこと言うけど、それそのまま書いてたら駄目だろ、みたいな。いくらなんでもJPOP化が甚だしいのではないでしょうか。

