ぶっちゃけ、そんな孤独をくぐり抜けたおれからすると、文学フリマで安直にクリエイターインタビューして批評家ごっこしている連中はぬるすぎる。年寄りの愚痴と言われても言うぞ。いまの同人批評界は決定的に甘い。もっとマイナーで孤独なことをやるべきだ。
「美少女ゲームの臨界点」は、Type-Moonの台頭に対してKeyを絶対的に擁護するために、そしてそのためにのみ作った(「+1」は違うが)。批評の存在意義はそういう「構図」を作り出すことにある。人気タイトルを追い掛けているだけのいまの同人批評に、そういう気概はあるのだろうか。
むろん、そういう批評がぼくの趣味の反映でしかなく、クリエイターからすれば乱暴で迷惑なものでしかないことは承知してますよ。しかし、批評を書くこと/読むことの楽しさは、そういう「構図」の魅力にあるわけで(それがわからないと批評は嫌いになる)、その勇気がない文章は批評の名に値しない。
「美少女ゲームの臨界点」のころは、自分がここでKeyの魅力言語化しておかないと、後世エロゲーの歴史は全部奈須きのこがもっていってしまうのではないかと本気で危機感もってた。自分でもあのころはなにか狂ってたと思うがw、しかし、そんくらいトチ狂っていてほしいんだよなあ、若い連中には。
構図がうまく作れていること、まずはそれが批評の良さの第一条件。構図がないまま個々の作品論垂れ流しても、それは読者の記憶に残らない。